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なおこの部屋

故郷

2021年2月 1日 (月)

思い出

2020年12月21日 母がグループホームに入所しました。
施設側から「コロナ渦の為、お正月に帰省客と接触した入所者は暫く入所を見合わせていただきます。」というお知らが届き、家族でお正月を楽しみにしていましたが、急遽21日に入所しました。
お正月を実家で過ごすのが恒例の我が家は、数年ぶりに自宅でだらだらとしたお正月を過ごしていましたが、4日に義母が緊急入院、10日に亡くなり13日葬儀。大変なお正月になってしまいました。
母は101歳、義母は99歳。人生100年の時代らしいですが、介護者も高齢者。

母の百寿のお祝いの日、朝日が昇りきったころに突然雪が降ってきたので撮影しました。一瞬でした。

Akutsu

2020年7月 9日 (木)

母との会話

母は、群馬の田舎で一人暮らしをしています。
コロナウィルスの自粛生活が始まった時に、様子を見に行こうと思いましたが、
「コロナウィルスを連れてこられては大変なので遠慮してほしい。来たい気持ちは分かるけどね。」と言われてしまいました。
お言葉に甘えて、3か月ほど介護から解放されています。
母は、2月に100歳を迎え、2月7日にお祝いを済ませたばかりです。
この機を逃したら100歳のお祝いは幻のお祝いになるところでした。「いい時にお祝いが出来て良かった」と何度も言ってます。

母:「国から10万円が貰える手続きをしたけど、詐欺じゃないのかい。」
私:「すべての国民が貰えるのよ。」
母:「それじゃ国は大変だね。お前も手続したの。」
私:「通知が来てないからまだよ。」
母:「おかしいね。全員じゃないのかね。もし貰えなくても私が貰ったらあげるから心配しないで。」
私:「通知が遅れているだけよ。」

補聴器を付けていても、母との会話は中々噛合いません。
話し方が悪いからよく聞き取れないと言って、耳が遠いのを認めません。

週3,4回の母との会話は、私にたっぷりのストレスを残してくれます。

人生100年といいますが、健康年齢の100歳なら歓迎ですが・・・・・。
100歳の介護は、介護者の健康年齢が短くなっていくようで不安です。

                      廃屋になっている物置。
                      暇を見ては草むしりをしています。

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日当たりの悪い、湿気の多いところに苔の花が咲いていました。
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2016年6月21日 (火)

母の家

主人の母が骨折をして入院中。幸い手術後のリハビリの効果か、順調に回復している様子。
95歳の母が一人暮らしをしていた家は、ペリーが来航した嘉永6年に建てられた古民家です。当時のまま、ほとんど手を加えていないため、
母が生活していくにはよい環境とは言えません。
気丈な母で、「慣れた環境だから大丈夫」と言っていますが心配です。
母が居る時には、家の中をじっくり見て回ることはありませんでしたが、この度、写真を撮ってきました。
母が居たなら、写真を撮ることなど許されなっかたかも知れませんが・・・・・。

蔵と蔵の間に通路があり、那珂川に抜けています。
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庭には老いた木々が添え木をされ、苔むして頑張っています。
トイレの中・・・水洗です。
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部屋は格子戸で仕切られていて暗いため、撮影が大変でした。
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2階は当時のままで、丁稚部屋だったそうです。格子戸を下すと、一階と二階の仕切りになります。
部屋に下げられていた言葉、何度も読み返してしまい、届かなかった母の思いを受け取ったような気がしました。
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2016年3月28日 (月)

春が来た

母の介護に係るようなって、長いような短いような時間が過ぎています。
幸い、親切な介護スタッフやご近所さんに恵まれて、何とか自宅で生活出来ています。
私の役目は、母に必要な介護メニューをケアマネージャーと相談しながら決めて行き、母の日々の生活に支障のない環境を整えることでしょうか。
軽い認知症はあるものの、気丈で勝気の性格な母は、何でも一人で出来て、他人に迷惑をかけていないと思い込んでいるようです。

父が亡くなり、庭の手入れも疎かになりがちですが、30年たっても、木々は芽吹き、可愛いお花も咲き始めました。         

                                   手入れもしないのに、律儀に咲いてくれますP1070857_2_640x481_2
 
                60回目のソテツの新芽 P1070871_640x481_2

                 なんだか楽しそうP1070844_640x481

                 バラもシニアですP1070862_640x480

                 最後の一輪?が咲いていましたP1070875_640x481

                  間もなく新緑ですP1070843_640x481



















2015年10月24日 (土)

介護1 懐かしい

昨年の11月に弟が亡くなり、95歳の母の介護生活が始まって間もなく1年になります。
母は、ご近所さんや近隣の親戚、介護制度の利用等で、不自由のない日常生活を送っていましたが、体調を壊して2週間ほど入院していました。
まだ使えると言って、なんでも取って置く母が入院している間に、押し入れの中や、家の周りを点検して、不必要なものは処分したり、古くなったものは新しいものに替えたり、母が居ては出来ないことをしたんです。
勿論、母に叱られるのを覚悟してです~。

沢山処分しましたが、捨てられない、懐かしいものを見つけました。
まだ残っていたんですね。

              煮炊きをしていたへっつい(方言かな?)P1060781_640x481

              小学生の頃は、このお釜でご飯を炊いたり、うどんを茹でたりして~              
              おこげが美味しかった~ P1060777_640x481_3
              冷たくて美味しいお水が出ていたんですが~
              今は、水道の支柱として~現役です。P1060783_640x481
              洗濯機が来る60年前、この金盥で洗濯していましたが、 
              今は、お風呂の石油タンクの雨よけカバーとして活躍中~P1060785_640x481

              工作好きの父が使っていた道具。
              亡くなってから27年になりますが、当時のままです~P1060784_640x481
母の言葉~震災があった時には役に立つ

2015年6月 4日 (木)

撮影スポットが一杯

昨年弟が亡くなり、母の介護が生活の一部になって半年になります。
今までも、充分忙しかった私の生活に、母の介護が加わり、高速で2時間かけて実家まで行くのは、時間のやりくりが大変です。

95歳の母は取り立てて悪いところもなく、一人で生活していますが、やはり回りが相当な気配りをしてゆく必要があります。
ご近所や介護の皆様に支えていただきながら、不自由のない生活を送っていますが、身内でないと関われないこともあり、時々の実家通いが欠かせません。

介護だけのために母のところに通うのは中々根気が要りますが、幸い、
写真撮影のスポットが沢山ある環境で、近くを流れている神流川、庭の花々や木々、朝日や夕日の撮影を楽しむことが出来ます。

母の介護と趣味のカメラをセットにして、何とか母を見送るまで介護して行く覚悟が出来たような気がします。(今は、気がしているだけですが~)

軒下のソテツで、一人暮らしのカエル君P1030409_640x479
畑に咲いている一輪のポピーP1030449_640x481
庭の木陰の向こうは夕日P1030473_640x480
あっという間に、庭が夕日色P1030472_640x481
とこちゃんは、介護がお上手。
デイサービスの車から降りた母に付き添って、玄関まで一緒に歩きます。Cimg6690_640x480



2013年1月26日 (土)

美九里

ハナママの故郷は藤岡市の「美九里」です。
「美九里」には、「本郷村、根岸村、川除村、牛田村、神田村、矢場村、三本村、保美村、高山村」の美しい九つの里があります。
町村制施行により、明治22年に「美九里村」に統合されました。
郡統合により「多野郡美九里村」に、合併により「藤岡市」になりました。
ハナママが子供の頃は「多野郡美九里村でした。
養蚕の盛んな所で、周囲は桑畑が多かったような記憶があります。
村の東南に利根川の上流になる神流川が流れているのどかな所です。
村の様子は今でも殆どかわっていません。

夜、真っ暗な土手に上がって東の彼方を見ると、ほんのり明るい所が有りました。
子供心に不思議でしたが、ある時、父が「あそこが東京だよ」と教えてくれました。
それからずーと、東京は夜でも明るい所なんだと思うようになりました。

東京で学生時代を過ごし、結婚して埼玉に住んでいますが、ほんのり明るかった所を見ていた私、現在は、ほんのり明るかった所に住んでいる私。
歳月の永さを感じます。沢山生きて来たんですね。

藤岡市の地図です。赤く囲まれているところが「美九里」です。Usita